坂ではないところを探すほうが大変なくらい、坂の街です。
今日はそんな神楽坂の坂をふたつ紹介します。
まず「新坂」。
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なぜ、初っ端がこんなマイナーな坂かと言いますと、
たんに私の利用率が一番高い坂だからですwww
標識の説明書きにはこんなことが書いてあります。
御府内沿革図書」によると、享保十六年(一七三一)四月に諏訪安芸守(戸田左門)の屋敷地の中に新しく道路が造られた。新坂は新しく開通した坂として命名されたと伝えられる。
結構安易な理由ですw
そんな安易さも個人的には親しみやすくてよし。
この新坂。
別名は若宮坂ともいうらしいんですが、
写真に収めたのは一番てっぺんともいうべき付近。
でもスタート地点は外堀通りから始まる「ゆ嶺坂」。
ここからアグネスホテルの脇を通って、
若宮八幡さんを曲がって、
ちまちま右と左に曲がるとてっぺんに続く長い坂がやっと出てくる・・・
と、いう感じで結構長いです。
最近なんて暖かくなってきたから、
下から上ると軽く汗ばんでしまいます。
まぁ、でも言葉で説明してもわかりませんよね。
東京23区の坂道:神楽坂方面地図
今回は下手な地図を載せるより、
こちらのサイトさんの説明図が分かりやすいと思います。
こちらの地図ではてっぺん付近のみを新坂としていますが、
新坂は古い新坂とか新しい新坂とかいろいろあるようですから、
なかなか定義も難しいのかもしれません。
続いて「地蔵坂」。

ここは神楽坂から袋町に入る坂道なんですが、
個人的に利用頻度が高い坂そのニだったりしますw
坂の上り口にある八百屋「丸喜屋」を良く利用するので、
必ず週に1回は通ります。
さて。
「袋町」に入る道と言いましたが、
この袋町の所以について神楽坂まちの手帖に書いてあったので抜粋します。
地蔵坂は袋町にある。そこは豊嶋郡野方領牛込村だったが、のちに町屋となり、肴町の横丁でなおかつ坂上は御徒組の門で袋小路だったため、袋町となった。旧牛込区は、このあたりが武蔵野の牧だったのでこの名を冠した。つまり牛がたくさんいたのである。駒込、馬込もこのたぐい。
(神楽坂まちの手帖ニュースより抜粋)
「袋小路」で「袋町」。
こういう歴史的な背景を持つ町名が減ってきている昨今。
大事にしたい名前だな、と感じます。
古地図を眺めるのが割と好きなんですが、
今の町並みと照らし合わせながら見ているときに、
地図と町並みだけではなかなか想像が難くても、
こういう昔からの町名というエッセンスが入るだけで、
情景がありありと浮かんでくるから不思議です。
新旧共存のあり方が問われる街のひとつである神楽坂ですが、
こういう町名も受け継いでいくもののひとつであって欲しいですね。
地蔵坂といえば光照寺。
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地蔵坂の標識にもこんな風に紹介されている光照寺。
この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。それに因んで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。
もとは牛込城という牛込氏の居城だったそうです。
知りませんでした・・・。
とはいえ、平城で格別の城郭があったわけではないそうなので、
私達がぱっと思い描くような「城」とは言えないようです。
こんな歴史に触れられる坂ですが、
現代的?なこんなアトリエもあります。

うまく写真に収められなかったのですが、
かわいかったので撮ってみました。
絵画教室もやってるようです。
また、こちらの坂の途中に以前紹介した鍼灸・足湯のエコパオがあります。
まだまだ沢山の坂がありますから、
順次紹介していきますね。
【おまけ】
先日代官山を散歩したときに遭遇した犬。

カフェでお茶をしている飼い主さんが気になって仕方がないのねw
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